年末に
村上春樹のガイドブック的な本をパラパラとめくっていたら、急に
村上春樹を読みたくなった。
今年最初の読了本は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』。
この本は過去に2度ほど読んだことがあるので、再再読になる。
今回読んで驚いたのが、過去2回と全く違う印象を持ったということ。
昔読んだ本を読みなおすと、違った印象を持つ。というコトはよくあるけど、そんなレベルでなく。
引っ掛かる場所も、読了感も全然違った。
以前もこの話しは好きだと思っていたけれど、思っていたよりもずっとずっと心に響く物語だった。
もしかしたら…比較的昔に読んだ他の作品に対しても同じようなコトが起きるかもしれない。
読み直してみよう。
24歳の時に夢中になって読み過ぎて気付いたら朝になっていた『羊をめぐる冒険』とか、良いかもしれない。
多分、その本を読んだ時と今とで比較すると、色んな事が変化しているというコトなんだろうけれど。
「変わったコト」を自覚するのは難しい。
「変わらないコト」は割と自覚できるのに。
ちなみに、
村上春樹はエッセイもたくさん書いているけれど、こちらは読んでいないモノもたくさんある。
特に恋愛観なんかを語ってる作品は敢えて読まないようにしてる。
吉本ばななとか
村上春樹とか、ねっとりとした性描写がある作家は特になんだけど、「作者が語る恋愛観」みたいなのは知りたくないのがその理由。
「主人公=作者」ではないと頭では解っていても、作者を彷彿してしまうと何となく興ざめしてしまうから。
ところで、出せばベストセラーとなる
村上春樹だけど、アンチも非常に多い作家ですね。
なんとなく、「村上春樹は大声てdisっても良い作家」と認識されているのだろうかと。
そんな風に疑いたくなるくらい、村上春樹を好きだと言うと、正面からdisって来る人が一定数いる。
この感じは、かつての巨人軍に対する風当たりに似てる気がする。
巨人ファンはたくさんいたけれど、同じくらいの勢いで「アンチ」もいて、「巨人が好き」だと言うと、物凄い勢いで噛み付いてくる人が一定数いました。
今の巨人はそんな存在ではなくなったと思うけど、昔は本当にそんな感じだった。
例えばなんだけど。
ここ数年、割と安定した強さを保っているソフトバンクや広島のファンだ。と言ったところで、そんなに噛み付いて行く人はいないと思う。
作家にしても、宮部みゆきや恩田陸や又吉を好きだと言っても、そんなに正面からdisって行く人はいないだろうと思う。
なのに、村上春樹に関しては、まるでかつての巨人のように「何を言ってOK」みたいな雰囲気があるね。
「アンチ」の精神ていうのはどういう構造になっているのだろう。
「嫌いなら嫌いで、その気持ちは尊重しますよ。」としか言いようがないのだけどね。
だって好きって言ってる相手に悪口言い続けるって完全に病んでるよね。心が。
「ヤバイすよ、あなた。」と心のシャッターをそっとおろして終了ですが。
日常が始まると小説の世界にドップリ浸かるものなかなか難しくなるので。
のんびり長編小説を読んで1年がスタートしたのは良かったデス。
明日から教室もスタート。
今日は1日家に籠って、工作の準備やらお誕生カード作りやら。
雨だから丁度良い。